私は44歳の主婦。主人は50歳の社会人です。結婚してもう14年近くになります。主人は建築関係の設計の仕事をしています。私も子供ができるまで、飲料メーカーの営業事務の仕事をしてました。
夫婦円満のためには、相手にあまり関心を持たない事だと思います。
いつ離婚してもいいと思っていた気持ちを変えたのが子供の存在
一般的などこにでもある夫婦だと思ってます。結婚当初は、離婚することをよく考えてました。だから絶対に仕事をやめないと頑張っていたのです。
いつでも自立できるように考えていました。だから結婚したけど経済的にも精神的にも主人には頼っていなかったのです。
他人同士の生活なので、喧嘩は当たり前、愚痴は何時間でも話せますし、主人の実家の話しや、義理母の話しはこれでもかって言うくらい話せます。
そのくらい文句や愚痴が多い結婚生活でした。いい人はいたら離婚していたと思いますし、もし主人から離婚って言われたら離婚していたと思います。
本当に愛してるのか何なのかわからなくなってきたのです。そんな生活を変えたのが、やはり子供の存在でした。結婚5年目で待望の子供ができたのです。
夫婦の概念を捨てて、役割があるから一緒にいてるだけ
産後は本当に離婚を考えましたが、子育ても少し落ち着いてくると、使えるものは使おうと図々しくなってきて、主人でも役に立つんだと価値を見出したのです。
子供ができたので、仕事をやめた私は収入がなく、主人に全て頼らなければなりません。主人がいないと子育てやら自分の生活が成り立たなくなってきたのです。なぜか悔しかったですが、生きて行くためと割り切っていきました。
その頃から、夫婦っていう枠に囚われすぎているのではと考えるようになったのです。仕事もできる人はする、子育ても家にいる人がする、役割分担があるんだと思い、それを夫婦という単位で行っているだけの話しだと思ったのです。
夫婦というより、ひとりの大人の男性として尊敬している
主人がいないと成り立たない生活があって、その中で自分らしく生きていけばいいという結論になったのです。
主人は働く役割、私は家を守る役割、一つの小さな組織の中なのです。それ以外は自由だと考え、私は主人のことを想っていても、それ以上の関心を持たないようにしたのです。小さな組織の中では話し合い、協力もしますが、それ以外は関係ないのです。
夫婦だから24時間夫婦でいなくてもいいのではないかと思ったのです。子供には、他人にはなれませんが主人は他人になれるのです。
そんな夫婦だからって考えないので、今では主人という枠ではなく、一人の大人の男性と考えてもいます。そこには尊敬の気持ちもあり、信頼もあります。
頼るのが当たりまえ、頼られるのが当たりまえという関係が14年経った今頃ですが、出来始めたと思います。多分、主人も同じような価値観なんだと思います。
だから結婚したのかもしれませんが、夫婦の形に囚われない、そしてお互い尊敬していれば、関心をもつこともなくなると思います。